圓生の録音室 / 京須偕充

読書感想文
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先日『師匠、御乱心』を読んで以来、なぜか師匠圓生の方にハマってしまいました。と言ってもまだBSで落語特選会の再放送を4演目(淀五郎、猫定、能狂言、寝床)を見ただけですが。

この三遊亭圓生について、現在の落語研究会の解説でおなじみの京須偕充氏が書いた本の存在を知ったので、早速読んでみました。

本書の舞台は『三遊亭圓生人情噺集成』、『圓生百席』が録音された昭和48~52年、演者の圓生が70歳台、プロデューサーの筆者は30歳台です。現在はさしずめ噺の世界のご隠居を感じさせる筆者が、自分より若い時代の話です。しかし、作中の圓生とのやり取りは落ち着き払った様子で、あまり若さを感じることはありませんでした。若くして泰然としている筆者だからこそ大仕事を成し遂げたのか、落語の伝統社会が筆者を成熟させたのか、単に私が幼いだけなのか…。

落語と言えば基本は舞台上で演じられる、すなわち客席で鑑賞するものなのでしょうが、本作はレコードに関する話です。立川談志も著書でテレビ用の演出について言及していましたが、やはりプロにとっては舞台、レコード、テレビはそれぞれ別の落語なのでしょう。

確かに音楽や映画も多様な楽しみ方がありますが、鑑賞する方が知らないところで、プロがそれぞれの条件に合うように手を加えているのでしょう。そしてそれに気づかれないのがプロの仕事なのでしょう。

レコードの時代を感じさせるのが、「間」を調整するためのテープの切り貼りです。スマホで簡単に編集できる時代からすると隔世の感がします。また、まくらや出囃子、送り囃子を演目ごとにすべて変えるという凝りようです。こうして大作が後世に残されました。

昭和の大名跡が語られる際に付きものなのは、「現在の落語界」との比較です。やり玉に挙げられるのは毎度おなじみ笑点ですね。本書も例にもれずです。しかし圓生の音源や映像が残っている以上、それは仕方のないことだとも思います。偉大な先人達と真摯に向き合った果てに行き着いたのが、「現在の落語界」ではないでしょうか。

ちなみに『圓生百席』、調べたらセットで20万超でした…。まあCD100枚超ですからね…。ただ在庫はどこにも無く、図書館にちらほらあるそうです。『圓生百席』探しの旅に出るのもいいかもしれません。

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