本書は他の歴史本にもよく登場するので、いつか読もうと思ってました。しかし若干古い本(1999年)なので、いつの間にか後回しに。それを後悔させる、不朽の名著。
名文で描かれる政と官の攻防
超然主義の「官」に挑戦する「政」という構成で、明治以来の日本の政治史を紐解いていきます。藩閥官僚と民選議員の戦いが、やがて軍・警察官僚の独壇場となり、戦後には政官複合体ともいえる五五年体制に移り、現在に至ります。
登場人物が多く、それぞれの思惑も複雑に絡み合うので、この時代の本はどうしても難しくなります。しかし本書はそれぞれの位置関係をわかりやすく整理し、ときどき現代の政治システムとも照らし合わせて理解を助けてくれるので、最後まで集中して読み進めることができました。
そんな本書には随所に名文がちりばめられています。そのキーセンテンスを軸に、感想を残しておこうと思います。
「政」にこれくらいの力がつき始めると何が起るか
1901年(明治34年)に政側の巨魁、星亨が凶刃に倒れる場面での文章です。第4次伊藤内閣から第1次桂内閣に移り、ここから桂園時代に入ります。
この事件は政vs官といった単純な構成ではなく、自由党系の星に対する改進党系新聞のバッシングも背景にあるところが、この時代の複雑なところです。
5年前に読んでいたら、歴史上の出来事だと思ったことでしょう。今では日本の未来を暗示するようで戦慄が走ります。
今も変わらぬこの国の宿痾
1921年(大正10年)に平民宰相、原敬が暗殺される場面での文章です。本書によると政党政治の頂点の時代です。これ以降、「政」は「官」に押し戻されます。
新聞のバッシングが暗殺の背景にあることは星亨と同じですが、本章では「民」についても言及しています。「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」という福沢諭吉の言葉も登場します。
本書が書かれた1999年に「今も変わらぬこの国の宿痾」と表現されていますが、現代その病はさらにステージが進行している気がしてなりません。
「無党派」は「官」党である
終章のタイトルです。投票率の低さは、議会の存在意義につながります。「官」に「服する」という本書の表現が印象的です。
慧眼の筆者は、最後に「カネのルール」について言及します。ここで幾度も「政」が足元をすくわれてきましたし、今年の政界も迷走を極めています。
「民」の役割
この国の「官」の牙城が築かれるまでの歴史がよく理解出来ました。なかなか苦しい状況ですが、これを打破するには「民」しかないと思います。
ややこしいのは、「民」のように振る舞う元「官」です。
やってる感を出すプロモーション自体は一般的な行動です。それは官僚だろうが民間企業だろうが変わりません。長期的に観察して見極める必要があります。「官」と対抗できる「政」や「民」を判別するためにも、まだまだ勉強が必要ですね。
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