書店で見かけて気になったので、挑戦してみることにしました。
この筆者の本ははじめての構造主義に代表されるように、シンプルでわかりやすいタイトルが特徴ですが、内容を理解するのは苦労します。
さて今回はどうなることやら。
言語ゲームとは
一読した後に、「言語ゲーム」って結局なんだっけ、と思ってしまいました。それから冒頭を読み返して、ようやく理解が一歩進みました。「言語ゲーム」という特別なゲームがあるわけではなく、そもそも人間のありのまままが「言語ゲーム」であると。
ゲームであるからにはルールもあるのですが、このルールは言語で説明されず、実例で示されます。つまり規則があるような無いような、なかなか捉えることが難しいです。例えるなら、言葉の意味を他人に伝えるときのような感覚でしょうか。実例を挙げながら、少しずつ解釈を狭めていくような。
さらに言語は感覚を超えていきます。自分が感じるだけではコミュニケーションにならず、何らかのアウトプットが必要であると理解しました。それが言語であると。
応用編
本書の後半は応用編になっており、国際関係などを言語ゲームで紐解いていきます。最後の章になると難しいのですが、その1章手前の懐疑論についてはなるほどと思いました。
言語ゲームのルールは疑うことができます。ただし疑うという行為は、元をたどると何かの根拠を前提としています。
実社会でも疑う/疑われる場面はよく出てきます。その時には、前提となる思想や正義のようなものが存在するということです。これを使って今後のコミュニケーションに応用できないかと考えています。
言語にできること
現時点で本書を十分に理解したとは言い難いのですが、それでもおぼろげに理解しかけていることは、言語にできること/できないことがあるということです。言い換えれば、言語ですべきこと/非言語ですべきことです。
最近学習したイギリスの憲法も、まさしく不文の憲法であり、非言語の世界です。言語/非言語を理解することは、国体や憲法に限らず、一般社会の慣習についての理解にもつながると思いました。
個別の学習を進めつつも、定期的にこの練習問題に戻ってきたいと思います。
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