いわゆる「リア王」。タイトルの説明は訳者あとがきにありますが、私のようにこの話を初めて読む人間はあまり気にする必要はないかもしれません。いろんな版や説があるとだけ覚えました。
狂気が飛び交う話
先日呼んだ白鯨と並び称される作品ということで、こちらも読んでたところ、なるほど確かにあの狂気がまたよみがえってきました。
こういう狂った登場人物を受け入れるのには、慣れといいますか、物語を楽しむ素養が必要なんだと思いました。白鯨を先に読んでいなかったら、リア王の受け取り方も変わっていたかもしれません。(その逆も然りでしょうが、しばらく白鯨のような大作はいいかな…。)
解説でも、この狂った表現をどう理解するかがポイントとして挙げられています。そこには「人間らしさ」が現れているということです。人間味を出せば出すほど客観的には理解が難しくなるということでしょうか、なかなか一筋縄ではいかないものですね。
また聞き慣れない道化も、初見の人間を困らせる存在だと思います。リア王の狂気をその目前で茶化しているので、リア王自体は自分が狂っていることを理解したうえで狂っている、という風に見えてしまいます。ちなみに道化の解説をネットで調べようとしたのですが、色々説はあるものの結局よくわからないようなので、深追いするのはやめました。
人間臭い話
これまでさんざん狂った話と繰り返してしまいましたが、人間味のある話とも言えると思います。世継ぎの話はロイヤルな家庭に限った話ではなく、自身、他人を含めて中年の大きな関心事の一つだと思います。また良かれと思った清廉潔白な振る舞いが、思わぬ火種を招くこともよくある話ですよね。
初心者としては、そういう教訓めいた話で落ち着くのが関の山でした。もう少し教養が備わってくれば、登場人物の機微も味わえるようになるかもしれません。とはいえ宗教改革が背景にあるハムレットよりは読みやすかった、ような気がします。