だから私は、神を信じる / 加藤一二三

読書感想文
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宗教論争にみなさん飽きてきたようなので、落ち着いて宗教について考えてみます。

さてこの天才棋士は何を思うのか。

天才棋士が考えるキリスト教

まえがきで説明されている通り、本書ではキリスト教の基本的な考え方や聖書の内容について、筆者の経験をもとに書かれています。

現在のローマ・カトリック教会の教皇フランシスコは、「キリスト教の話をするときは抽象的な話ではなく、具体的な体験を話すように」とおっしゃっています。だからこそ私も、自分が体験し、実際に感じていることをみなさんにお伝えしたいと思います。

だから私は、神を信じる まえがき / 加藤一二三

筆者の経験としては、海が割れるとか水がワインになるといった奇跡的な出来事ではなく、「気持ちが冴えた」などのささやかな話が続きます。こういうスピリチュアルなことは、何を言ったかよりも誰が言ったかによって聞き手の感じ方も変わります。たぐいまれな集中力が必要とされる将棋の世界の第一人者に「気持ちが冴えた」と言われるとなんだか納得してしまいます。

神に委ねる

トップクラスの棋士は、数十手先を読むような頭脳の持ち主です。その中でも天才と呼ばれた筆者が、なぜ神を信じるのか、それが垣間見えたのが以下の一節です。

また私が最近好んで口にする言葉に「計るは人、成すは神」があります。これは、物事を進める計画を立てて努力するのは人であるけれど、それを実らせるのは神さまであることをわきまえなさい、ということを語っています。

将棋でたとえるなら、このようになるでしょう。対局のとき、事前に私たちは相手の棋士のことを研究しますし、対局中には最も良い手(最善手)を一生懸命に考え、その手を指します。しかし、相手がその後どのように指すか、その将棋がどのように展開していくかは自分の予想や理解を超えているのです。実際私も、良い手を努力して考えて指した後の展開は、神さまに委ねていました。

だから私は、神を信じる 神に委ねるという勇気 / 加藤一二三

天才の理解を超えたところは、神に委ねるというわけです。

ところが最善手を一生懸命に考えるのは、天才に限った話ではありません。おそらく誰でも一生懸命に考えることはあります。そしてその後は自分の思うようにいきません。確かに神に委ねると考えれば、説明がつくような気がしてきました。

神を教える

どうしても私が気になってしまうのが、言語の習得です。この本の前に読んだインテリジェンスの世界でも気になっていましたが、本書でも日本語に堪能な外国人司祭が出てきます。

これらに共通するのは、言語習得は目的では無いということです。目的はあくまで神を教えること、その目的が崇高であれば言語習得は自ずとついてくるのかもしれません。そんな気がしてきました。

結局自分の関心のある所に目が行ってしまいましたが、なかなか興味深い本でした。書いてあること自体はありふれた内容かも知れませんが、この筆者が伝えることで妙に納得出来ました。

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