小山田圭吾 炎上の「嘘」 / 中原一歩

読書感想文
読書感想文

コロナの第2波を迎えていた2020年7月、暇を持て余していた私は何を思ったか急にオーディオを買うことになる。当時食べたおしゃれなチョコレートのパッケージに「ぜひ音楽を聴きながら」といった説明がされていて、それならばと衝動買いしてしまったのだ。それくらい、何も楽しみが無かった。

それからapple musicを使って、当時すでに人気を確立させていたKing Gnu、Official髭男dism、あいみょんなどを新鮮な気持ちで聴き始めた。Billie EilishやThe Weekndなどの洋楽も、この機会が無ければ知ることもなかっただろう。人生で一番音楽を聴いていた時期だったかもしれない。

そして翌2021年7月、小山田圭吾の炎上騒動が起きた。音楽への感度が高かった時期だったはずなのだが、「小山田圭吾ってどんな音楽を作っていたんだろう」と調べることは無かった。当時はそんな炎上騒ぎが多発していたので、そこまで興味がわかなかったし、騒ぎ立てることの意味もよく理解していなかった。

この本を読めば騒動の真相がわかるのではと期待したが、余計混乱することになった。結局、小山田の作品を聴くしかないのではと思い、音楽をかけながら今キーボードを叩いている。

炎上の経緯を簡単にまとめると、1990年代の雑誌の記事を2021年に蒸し返したことである。筆者の関心はもっぱら20年以上前の雑誌の記事に注がれており、今蒸し返すことの是非は申し訳程度に触れられたのみだ。でもそれは致し方無い。そういう商売なのだから。

小山田の同級生への取材など、真相を明らかにしようとする姿勢は徹底している。ただし、矛先が小山田から『ロッキング・オン・ジャパン』に変わっただけではないのか。メディア全体でマッチポンプの役割分担ができていて、筆者が歯車の一つとして火消し役を務めているだけのように思えた。

ふと読み返してみて、自分は何を熱くなっているのだろうと思った。これも小山田の音楽のせいだろうか。人を調子に乗せる、時には軽はずみに、と思ったらそっと俯瞰した視点に乗せてくれる。この才能は時に疎まれ、憎まれたのかもしれない。世間の妬みは、尽きない。

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