企画や編集作業といったタイトル通りの内容から、論壇誌の役割まで話は及びます。
本書中の筆者の自己紹介は、『右寄り』から始まり『右翼中年』で締めくくっています。Xアカウントのプロフィールでは『言論の右も左も越えて行け』とのこと。月刊誌『WiLL』と『Hanada』に携わってから現在はフリー、その期間での左右に対する考え方の変遷が本書で語られています。
その2誌の編集長が花田紀凱。元週刊文春の編集長で、朝日新聞、角川書店、宣伝会議などを渡り歩いた1942生まれ。末章で筆者と対談しています。
いわゆる保守雑誌に位置づけられる『WiLL』と『Hanada』ですが、内側には商業目線で節操のない花田編集長や右寄りの思想を持つ筆者など、幅広い関係者がいたことがわかります。特に末章の対談では、論壇に関わる意識が芽生えた筆者と、面白い雑誌をつくりたい花田編集長とのギャップが明確になっています。花田編集長がメディアの影響力を軽視している姿勢は軽薄に思えましたが、あくまでビジネス面での責任者を自認しているのかもしれません。
筆者は『「既存勢力へのカウンター」というスタンスの危うさ』という視点は持っています。ただ対談ではその論点に持ち込もうと試みて、うまくかみ合わなかったように見えました。そもそも、雑誌に対する考え方がずれていたのでしょう。
出版不況の時代に生き残っている雑誌だけに、「面白さ」には手を抜きません。だからこそ「面白さ」以上の事を求めるのはお門違いかもしれませんね。
政治思想に関しては、倉山満が著書の中で紹介しているネーミングが的を得ていると思いました。右/左ではなく、右下/左下(真実の日米開戦広告)、反安倍に対する反・反安倍(保守とネトウヨの近現代史
広告)など。
ただ最近は右/左のどちらも幅が広くて複雑になってきたので、大きな政府/小さな政府、増税/減税などに焦点が切り替われば、見ていて理解しやすいのにと思います。