明暗 / 夏目漱石

読書感想文
読書感想文

夏の夜長は大作を、と思い挑戦しました。大作すぎて未完です。私の感想も未完…。

人間のエゴイズム

「エゴイズム」は本書を評する際のキーワードのようです。いろんな紹介文に出てきます。

新婚の男には、忘れられない女がいた――。
大正5年、漱石の死を以て連載終了。
人間のエゴイズムの真髄に迫った、未完にして近代文学の最高峰。

明暗 (新潮文庫) / 夏目漱石 Amazon紹介文

実は私自身は「エゴイズム」と言われてピンと来ませんでした。おそらく「エゴイズム」という言葉に対して欲求、欲望のような限られたイメージを持っているからかもしれません。ここでいう「エゴイズム」は、もっと人間の本質にかかわる部分、いい表現が出てこないのですが、本文の表現を借りると「嫉妬」「虚栄」「軽蔑」のようなものまで含む性質のものだと思います。青空文庫から、いくつか引用します。

五十一
鋭い一瞥いちべつの注意を彼らの上に払って行きがちな、廊下で出逢であう多数の人々は、みんなお延よりも継子の方に余分の視線を向けた。忽然こつぜんお延の頭に彼女と自分との比較がひらめいた。姿恰好すがたかっこうは継子にまさっていても、服装なり顔形かおかたちで是非ひけを取らなければならなかった彼女は、いつまでも子供らしく羞恥はにかんでいるような、またどこまでも気苦労のなさそうに初々ういういしく出来上った、処女としては水のしたたるばかりの、この従妹いとこを軽い嫉妬しっとの眼でた。そこにはたとい気の毒だという侮蔑ぶべつこころが全く打ち消されていないにしたところで、ちょっと彼我ひがの地位をえて立って見たいぐらいな羨望せんぼうの念が、いちじるしく働らいていた。

九十七
「いっそ今までの経済事情を残らずお延に打ち明けてしまおうか」
津田にとってそれほど容易たやすい解決法はなかった。しかし行きがかりから云うと、これほどまた困難な自白はなかった。彼はお延の虚栄心をよく知り抜いていた。それにできるだけの満足を与える事が、また取とりも直なおさず彼の虚栄心にほかならなかった。お延の自分に対する信用を、女に大切なその一角いっかくにおいて突き崩くずすのは、自分で自分に打撲傷だぼくしょうを与えるようなものであった。お延に気の毒だからという意味よりも、細君の前で自分の器量を下げなければならないというのが彼の大きな苦痛になった。

百五十
彼は今までこれほど猛烈に、また真正面に、上手うわてを引くように見えて、実は偽りのない下手したでに出たお延という女を見たためしがなかった。弱点をいて逃げまわりながら彼は始めてお延に勝つ事ができた。結果は明暸めいりょうであった。彼はようやく彼女を軽蔑けいべつする事ができた。同時に以前よりは余計に、彼女に同情を寄せる事ができた。

明暗 (新潮文庫) / 夏目漱石 青空文庫

本作はかなり登場人物も多く、複雑な人間関係になっています。それぞれの人物の複雑な腹の内を垣間見ながら進む物語は、哲学的に解釈することはもちろん、単純にエンタメとしても楽しめると思いました。

大正という時代の象徴

夏目漱石の作品といえば、東京の中心にある1戸建てに下女が出てくるのがおなじみではないでしょうか。割と裕福な家庭を中心に構成されているイメージがあります。『それから』などは裕福な家庭の成れの果てだと思います。そんな印象を持っていたので、本作に出てくる小林の存在は異質なものを感じました。

百五十七
「黙って聴くかい。聴くなら云うがね。僕は今君の御馳走ごちそうになって、こうしてぱくぱく食ってる仏蘭西フランス料理も、この間の晩君を御招待申して叱られたあの汚ならしい酒場バーの酒も、どっちも無差別にうまいくらい味覚の発達しない男なんだ。そこを君は軽蔑するだろう。しかるに僕はかえってそこを自慢にして、軽蔑する君を逆に軽蔑しているんだ。いいかね、その意味が君に解ったかね。考えて見たまえ、君と僕がこの点においてどっちが窮屈で、どっちが自由だか。どっちが幸福で、どっちが束縛を余計感じているか。どっちが太平でどっちが動揺しているか。僕から見ると、君の腰は始終しじゅうぐらついてるよ。度胸がすわってないよ。いやなものをどこまでも避けたがって、自分の好きなものをむやみにおっかけたがってるよ。そりゃなぜだ。なぜでもない、なまじいに自由がくためさ。贅沢ぜいたくをいう余地があるからさ。僕のように窮地に突き落されて、どうでも勝手にしやがれという気分になれないからさ」
津田はてんから相手を見縊みくびっていた。けれども事実を認めない訳には行かなかった。小林はたしかに彼よりずうずうしく出来上っていた。

明暗 (新潮文庫) / 夏目漱石 青空文庫

いささか空回りした長台詞は他の作品でもよく出てきますが、さすがにここまで尊大にして卑屈な人物は初めて見ました。この作品より少し前の『こころ』が明治の幕引きを象徴していたのに対して、本作の小林は大正の幕開けを象徴するものなのかもしれません。

令和の象徴?

本作は大正を象徴するものだと述べましたが、実は令和の時代にも通じるものがあるのではと感じました。複雑な利害関係や腹の探り合いは現在の国際関係に当てはまりますし、小林のような人物は、現在のTwitterでよく拝見します。

すると令和の時代がどうなるのかを考えるためには、大正→昭和の歴史がカギになるのではと考えました。あれ、あまりよくない未来が…。やはり明治、大正、昭和を理解することは、これからの未来を生き抜くのに必要な教養だと改めて感じました。

明暗 (新潮文庫)

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