今国会では、主要メディアが高市早苗に注目しているのに対して、ネットではそのメディアの報道姿勢に批判が集まっています。
以下の記事もその一つですが、その中で「官報複合体」という本が紹介されおり、これが今回の騒動の理解につながると思い、読んでみました。
電波官僚とマスコミが悪魔合体!高市早苗は「官報複合体」の罠を突破できるか? ; SAKISIRU(サキシル)
一見正論に見える「官報複合体」
官&報、すなわち権力側の官僚機構と監視側のメディアとが、日本では癒着した状態であるというのがタイトルの「官報複合体」です。代表的な例として、警察ネタが優先されるニュース、推定有罪のイメージ操作、人質司法の擁護などが挙げられます。
近年顕著に表れた例として、黒川検事長と新聞記者の賭け麻雀があります。権力側である検察と、監視側の新聞社とが癒着しているのは明らかです。
これを大手メディアは擁護しています。情報を引き出すためには権力側と仲良くする必要があるというのが大手メディア側の言い分です。
この一見正論に見える言い分を、本書では批判しています。検察に嫌われている文春が本件をスクープしたのがその理由です。むしろ嫌われているからこそ、権力側に配慮する必要がなくなるようです。
本書がジャーナリズムに求めるもの
本書の冒頭では、ジョージ・オーウェルの名言とされる「権力が報じてほしくないと思うことを報じるのがジャーナリズム。それ以外はすべてPR」を引用しています。ネットで検索したのですが、この文章の出典はよくわかりませんでした。
参考:12Attribution? – “Journalism is printing something…”
出典は置いといて、このロジックは必要条件/十分条件が怪しいと感じてしまします。
「権力側が利益を享受するやましいこと」⇒「権力が報じてほしくないこと」
ならば理解できるのですが、その逆は果たして真でしょうか?
また第2章では「公益にかなう報道」が論じられています。この「公益」は、筆者のさじ加減次第なので、私には理解が難しかったです。なお本章では文春の芸能報道を「市民目線」と擁護していましたが、これは先述の「一見正論に見えること」ではないでしょうか。
もう一点気になったのは、第5章で取り上げた「内部告発」です。ここで好例として取り上げているのは、「#MeToo」のきっかけともなった映画プロデューサーのスキャンダルです。これは被害者が声を上げているので、「内部告発」と理解できます。一方西山事件はどうでしょうか?これは「内部告発」ではなく「内部の人間への脅迫」ですので、本書はかなり記者にすり寄ったスタンスになっていると思いました。
筆者の思想
本書のあとがきで、筆者の思想のバックグラウンドが伺えます。それが象徴されているのが、父親が学生運動家であったのとともに、筆者自身も学生運動を応援していたという記述です。
本ブログでも、学生運動の浅はかさを取り上げましたが、それを応援していたということは、そういうことだと思います。スノーデン事件を称賛しているのも、筆者の思想を理解するいい例ではないでしょうか。内部告発者はロシアに亡命しているのですから。
ただ公平な報道を宣言する欺瞞に満ちた大手メディアに比べて、自分の素性を明確にしている筆者はスジが通っており、そこにはジャーナリストの矜持を感じます。本書もすべてが間違っているわけではなく、参考になる部分も多々あると思います。筆者のバイアスを理解した上で、有効活用するのが本書の上手な読み方ではないでしょうか。